6年前、ミニマリストを目指した
一時期、グッと
『ミニマリスト』
『モノを持たない生活』
『断捨離』
といったワードが流行った時期があった
その頃には私もミニマリスト”見習い”として
ブログや書籍や動画などを見て『ミニマリスト』という生活にあこがれを持ち、
自分の生活にも知恵を取り入れていっていた
とくに「はぴらき」さんのブログは、はてなブログ時代から見ていて
10年以上ミニマリストの生活を綴っていて読み応えもあるしリアルで面白い
はじめに:はぴらきのミニマリスト生活や楽しい日常を公開するブログ
ようこそ、「はぴらき合理化幻想」へ。このブログを一言で言えば、筆者の「はぴらき」が好きなように生活している様子をつづっているだけだね。
私のライフスタイルは
貸家の2年契約が終われば更新せずに引っ越し、いろいろな土地でいろいろな仕事をしながら生活していく
そんな「遊牧民」のように常に移動をしながらの生活というものだ
そういった生活だと
もちろん、多くの家財道具を抱えての移動は効率的ではない
引っ越しをするたびに『断捨離』を行っていき
冷蔵庫やレンジ、掃除機などの家財道具も廃棄して
『モノを持たない生活』というものへシフトしていったのだ
しかし
残念なことに必要最低限の生活費を得るための仕事は、上手く効率化を図ることはできていない。。。
現在は配当金で生活資金を確保出来るように投資の勉強をしている
だから僕はミニマリストをやめた
6年まえからミニマリストを目指して
現在ではミニマリストをやめた
なぜなら
『ミニマリスト』という生活は
『モノを持たない生活』とは繋がるが
『豊かな生活』には繋がらないと私は気がついたからだ

じゃあ、モノをたくさん持っているほうが『豊かな生活』なの?

『ミニマリスト』なんてカッコつけて読んでいるけど、単純に『貧困者の生活』じゃないか!
というアンチミニマリストに餌を撒いているようにも聞こえるが
そういうことを言いたいのではないことを先に断っておく
ここで私が主張したいのは
『なにも持っていない人間』が
『ミニマリスト』という概念にあこがれて断捨離を行い、『モノを持たない生活』になることよって
『すべてを持ち合わせていないタダの貧困者』にしかなれなくなる
そんな危険性があるということだ
失敗してしまった断舎離
私がミニマリストになってまず減らしたのは
- 着ていない服
- あまり使わない家具
- ゲームやマンガなどの娯楽道具
- 指輪やピアス、時計など装飾品
これらの4つは、
自身のステータスを主張するようなモノでもあると考える
例えば、
- 年収が高い家庭は良い車を乗ってる
- 年収が高い人は高い時計を身に着けている
- 年収が高い人は良いブランドの洋服を着ている
私達「庶民」からすると、そういうイメージを持っているが

自分のステータスを象徴するモノを持っていなくても豊かな生活が出来るんですよ
という主張をしたいのが『ミニマリスト』という言葉だ
では、
その『ミニマリスト』たちが主張する『豊かさ』とはモノ以外に何を指しているのか
それはもちろん個人で異なるが、
モノではない資産が重要だという指摘が多い
それでは、
豊かさを示す『モノ』も
『モノ』以外の資産も持っていない人間が
『ミニマリスト』を目指そうとすると、一体どうなるのだろうか?
クリエイティブの欠如
答えは
『何も持っていない人間が「ミニマリスト」という言葉で自分自身を肯定している人間』が生まれる
それが私なのだと、最近気が付いた
モノというのは「クリエイティビティ」の成果であり
それを使う方も半強制的に「クリエイティブ」にならざる負えない
例えば、
iPadを買った人は、飾って眺めていたりはしない
iPadを使って、絵を描いたり、DTMをしたり
「クリエイティブ」を行うために購入するのだ
モノを増やさない思考に囚われて
『想像力のキャパシティーを制限』されている状態だと
その人生のアップデートを行う機会を減らしていく行為になる
- ゲーム
- 本
- 装飾品や衣服
などそれらのものは
『自分一人で生きていくのであれば全く必要のないモノ』だが
人生を豊かにして、
自分自身のアップデートを行ってくれる刺激となることに気がついた

ミニマリストを目指して得たもの
私のライフスタイルとして「ミニマリスト」は最適だったと思う
ミニマリストを目指す過程で知識を得ることは出来た
- 生活コストを下げる知識
- 質の高いものの見分け方
しかし、当時はアルバイトで日銭を稼ぎながら生活をしていて
なにもない人間が、無欲に生きているだけだと気づいてしまった
もしも、
『生きやすさ』だけに魅力を感じて『ミニマリスト』を目指している人がいるならば教えてあげたい
あなたが見ている『ミニマリスト』さんは、
隠れた努力をして得た『豊かさ=結果』によって生活がかっこよく見えているのであって
そこにあなたが到達するには『結果』を先に得ないといけない
「結果」を得る努力をしてから「ミニマリスト」になっても問題ないのだということを